CHURCH




今日でうちの毛の生えた子供、次男のchurch(チャーチ)がこの世を去ってからひと月が経ちました。

星星峡のフォロワーの皆様には今ではフクロウの楳とキャンキャンの方がもちろん馴染みが深いのはもちろん。だがしかし、我が家には四半世紀に渡り家族として共に過ごしたgaruガルとchurchチャーチという毛の生えた家族がおりました。もう6年ほど前になりますか、長男のgaruが17歳10ヶ月で先に逝き、先月の18日の朝次男チャーチが16歳8ヶ月で私たちの前から姿を消しました。

店が終わり、毎日帰っても帰っても、帰っても帰っても毛の生えた子供は出迎えてくれないです。

ガルが存命の頃は自然と分担があり私がガル担、台所がチャーチ担でした。

チャーチとの最初の出会いは東八道路にあったJマート(閉店)のペットコーナーで、あえて言えば、売れ残りコーナーに行く度に売値が安くなって身体が大きくなっている白い犬がいて、ガルが既に我が家にはいたので新たに新しく犬を迎える気は元々なかったのだけれど、行く度に見る度にいるのですよ。片隅のブースにSALEと書かれて2桁だった値段も最後には4万円位まで下がっていて。あーあの子殺されてしまうんだろうなぁ(そこまでいかずとも未来はそんなに明るくないだろう)と。そこから数日後SALE札のあの白い子は我が家の子になりました。

最初の頃は家にもガル(一人っ子育ちだし)にも馴染めずいつもキッチンのテーブルの下に隠れて丸くなっていたり、そのうち少し慣れてくるとちょっと乱暴になってガルを病院送りにしたり←(今思えばチャーチなりに色々理由があったのでしょう)それでもそのうち次男としてガル兄の側を離れず無視されても←嫌がられても兄にくっついて過ごしていました。ガル兄さんが先に逝ってしまった後、突然独りになった自覚が有るのか無いのか特には目に見えての寂しい素振りもなく過ごしていましたし、台所がとても可愛がっていたのでそこまで兄を失った喪失感は無かったのではないか、そうなら良いのだけれど。という感じです。兄担の私にチャーチはなかなか心を開いてはくれずチャーチの背後にまわるだけで唸られていました。頭を撫でることなど夢のまた夢(笑)兄を亡くしてから夢中で駆け抜けた2年の月日はチャーチとの仲も解きほぐしてくれたのか2年ほどするとチャーチを抱っこ出来るほどに←フフフ2年もかかっちまいました。

やっとそれぞれが向かいあえるかなという時に我々は店を始めることになりまたチャーチを一人ぼっちにすることに。ひとりぼっち←なんてそんな可愛らしいものでも無かったなと、夜中まで店にいて家で起きている時間はほんのニ、三時間というのがオープンの頃の感じ。台所と共に店の事で頭が一杯、休みの日ももちろん。チャーチは既に13歳も過ぎていたのに。それでも短い時間それなりに過ごして夜中に帰って玄関でうずくまって我々を待っているチャーチに申し訳なさと愛おしさを感じながら。チャーチも老犬街道真っしぐらなのでそこまで本意ではなかっただろうに帰宅して一緒に寝たがる私の腕の中で寝てくれたり。朝起きると隣の部屋の台所の布団の中で台所の背中にピッタリくっついて寝ているのを毎度発見して地団駄を踏んだり←オイ もうここ1年くらいは脚も弱くなりかろうじて歩いていたのですが今年の9月位から歩けず水も飲まなくなり病院に通いました。その頃長期の休みも頂戴しました。あの頃はここまで保たないかと思っていて。病院通いの点滴では間に合わず先生に教わり家で点滴をし、それでも家で独りの時に死なせたく無いと公には内緒で(カフェなのに申し訳ありません)店に連れてきておりました。レジの中がこの1ヶ月位の仮住まい、同伴出勤です。店終わりに点滴をしたり営業中は足元で苦しくなると立ち上がろうとするので起こして背中をさすったり、その間にお会計のお客様がいらっしゃるとわからないように私の右足を差し出しチャーチの身体を支えたり←老犬には居心地良くはなかったかもですが人間の我儘で共に過ごしてもらいました。毎日毎日今日が最期かも、と思いながらの1ヶ月、飲まず食わず点滴だけで1ヶ月。苦しみながらもよく頑張ってくれました。最後はチャーチの大好きな台所の腕の中で息を引き取りました。亡くなったのも時間的に仕事に支障が一番こない三連休初日の朝方。最後まで静かで慎ましやかな立派な犬でした。うちにはウメキャンの他にこんな家族もいるのですぅーと伝えたくて意識のない朦朧とした老犬を顔見知りのお客様にわざわざ見せたり←ほんとすみませんでした。皆優しくてやりきれませんでした。本当に本当にありがとうございました!また真骨頂の長文を最後まで読んでくれた方もありがとうございました!好きに書いてインスタ文字数超えてしまったら投稿しないつもりで書きました。投稿されたら文字数間に合ったということです。(笑)